2023年4月16日日曜日

読了 街とその不確かな壁

以前勤めていた書店では「村上春樹担当」と思われていたかもしれない。がしかし、単行本を発売日に買いに行くような熱心な読者ではないし、聖地巡礼もしない。数多の作家の中では好きだし、作品はチェックするけどもね、いう位置づけ。村上春樹はランナーでもあり、トライアスリートでもあるので、時々はフルマラソンに出るくらいのランナーとしては興味があったしテレビに出ることを拒んでいる姿勢は、好感が持てる。少なくとも今のテレビは時間を割いてまで見るものではないと思う。

「担当」になったのは、やはり村上春樹の新刊は大きな売上を作るので、販促として何かをやらざるを得ないし、それをメディアが取材に来て、カメラの前でなにか話すようなことがあって、それを社内でも見て、という循環があったから。でもやっぱり出たがりなんでしょ、と思っていた人は多いと思う。

そもそもテレビをあまり見ないので有名人の名前や顔はほとんど分からないし別に知りたくも無い。テレビに出たいとか有名になりたいとかも全く思わない。人々がなぜそんなに有名人のようなものが好きなのか、時には投票までして議員に祭り上げてしまうのかも全く理解できない(選挙は実質的には人気投票だ)。

メディアの取材に応じたのは、同じ価格で同じモノを売る書店という業態では、少しでも露出があったほうが有利になると考えていたからで、それを実感したのも何年か前の村上春樹の新刊発売の時。ものすごい取材の量と、それに比してものすごい売り上げを作ったことがあった。

本来なら広報担当者がいて、そちらでやってくれればいいのだが、オーナー社長の意向でそんなものは存在せず、本社にかかってきたメディアの電話も店に回してきて勝手にやってくれという態度だったのは、老舗ブランドに胡座をかいた企業戦略としては誤った態度だと今でも思う。

取材は時には時間がかかって深夜にまで及ぶものや、面倒なことも多く辟易することもあった。それでも彼らの持っているSONYのビデオカメラやSHUREのマイクはかっこいいなと思っていた、そういうハードウエアは好物のひとつなのだ。

前置きが長くなってしまったが、今回の作品で一番驚いたのが「あとがき」があった点、過去の作品にはまえがきも、あとがきもほとんど無かったはず。それが今回、結構な分量で書かれているのはこの作品が、40年前の決着を付けるという特別な位置を占めているからなんだと思う。

今回特に熱心でもない読者がこの本を発売日に買ってしまったのは、「羊」とか「世界の終わり」がやはり大好きだからで、30年前に読んだあの読後感がまた味わえると思ったからだ。

が、今回そういうものは無い。なぜならそれは読んだのが若い時だったから。作者も若いが読者も若い、だからその時はお互いにあった受信能力のようなものが私にはなくなってしまったからだと思う。作者は技を磨いているのだろうけれど。

「羊」や「世界の終わり」と出会ったは30年近く前で、仕事の帰りに必ず寄っていた阪急梅田駅の改札の前にあるブックファーストで、文庫になっていた村上作品をを貪るように読んでいたのを思い出す。なんでこんなスゴイ作品を本屋で働きながら知らなかったのだ、と思ったが、専門書の担当者だと一般書の世界は余り知らなかったりするのだ。

最初「ノルウェイ」に近いと思ったのも腰を落ち着けて丁寧に書かれているからでヤミクロや羊が唐突に出てきたりはしない。だから羊好きは評価しないけれど、ノルウェイ好きは評価する作品だと思ったな。

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